日本の近代文化に貢献した軍艦島
長崎県の軍艦島(端島)では1810年頃に石炭が発見されたこともあり、三菱社が買取り本格的な発掘が開始。
驚くべきことに島の半分以上が鉱場になっており、石炭の出炭量が増加と同時に急成長してきた軍艦島は1960年には5,267人の方が住んでいました。
これは当時の人口密度の世界一で、東京人口密度の9倍以上だったと言われています。
島内は病院や学校、神社があり、加えて映画館や理髪店などもあって、何不自由ない完全な都市として機能していたそうです。
島の半分以上が鉱場であったために建物と建物の間は非常に狭く、島全体が家族のような雰囲気でした。
しかし主要エネルギーであった石炭が石油へと変化するにあたって衰退し、1974年に閉山、この年の4月には全ての住民が島から離れて無人島になりました。
2009年には島への上陸が許可されたこともあり、観光や見学が可能になり、2015年に世界文化遺産に登録され現在に至っています。
歴史的建造物が今もなお残っている
長崎県の軍艦島では今では見ることができない当時の建造物を見ることができます。
島で1番大きいアパートでは65号棟で300世帯のアパートです。
9階の屋上には保育園があり、どれだけ多くの方がその場所で暮らしていたかを感じることができます。
また集合住宅の階段は機能的でありながらデザインを考える余裕を感じさせる軍艦島らしい工夫が施されているので必見です。
日本では最長老の建物、大正5年に建築された鉄筋アパートもあります。
90年間の日本の歴史を見届けてきた建築物が今もなお、そびえ立っているのは圧巻です。
人々の生活を支えた場所
毎朝開かれていた市場では多くの行商によって新鮮な食材が販売されており、午前中には完売していたそうです。
5,000人もの住民が市場を利用していたことが分かります。
三代目のドルフィン桟橋は、以前は島の玄関口として機能を果たしていました。
当時の唯一の交通手段であった船も今では途絶えています。
第二竪坑入坑桟橋は炭坑マンが毎日生死と隣合わせになりながら、階段を登っては下りを繰り返してきた当時の雰囲気を味わうことができます。
軍艦島の魅力に迫る
では軍艦島はなぜ多くの方を惹きつけてしまうのか、廃墟の島が現在でも行ってみたいと感じるのかというと、島全体が繁栄当時のまま残っているからです。
通常は島が廃れてしまうと建物は崩れ、当時の景観を確認することは難しいでしょう。
しかし軍艦島は廃墟でありながら、家電や生活の名残がそのまま放置されており、今でもそこに人が住んでいるかのような体験ができます。
日本の近代化を支えてきた方がどのような生活をして、どのような気持ちで過ごされてきたのかを、ぜひ当時にタイムスリップして感じてみてください。