原爆が現実に落とされた恐ろしさ
戦争が終わり戦争を知る世代が少なくなる中、絶対に忘れてはならない過去があります。
日本は原爆を落とされた唯一の被爆国だということです。
原爆を落とされたという事実は、歴史の勉強の中で知り事ができますが、どんなにひどいことだったのか、恐ろしいことだったのか、国内で戦争のない平和な日本に暮らす私たちは実感する術がありません。
しかし広島にある平和記念公園の資料や世界遺産に登録されている原爆ドームなどを見ることで、当時起きた悲しく恐ろしい歴史を学ぶことができます。
平和記念公園は広島市の中心部、原爆が落とされた爆心地に近い場所にある公園です。
ここには広島平和記念資料館、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑など、原爆、戦争に関する様々な施設があります。
核兵器の恐ろしさを目の当たりにする・・原爆ドーム
平和記念公園の中にある原爆ドームは、核兵器の恐ろしさを伝える建築物として世界文化遺産登録されています。
原爆ドームは元々広島県の物産品を展示したり、販売するといった施設で、様々な催しなども行われていました。
この建物は一部鉄骨が利用されたレンガ造り、その他石材などが利用された3回建ての建物でした。
当時の広島は都会だったとはいえ、都心部でも木造建築ばかりの中、ヨーロッパの建築技術が利用された建物はモダンで美しく広島のシンボル的な存在といえる建物です。
原爆が広島に投下された昭和20年8月6日、現在の広島ドームから南東に約160m、高度600mのところで炸裂しました。
台風の風速でも30mも吹けば人が立っているのが難しい状態ですが、原爆の風速は440m、建物は一瞬で熱線と爆風で大破、一部鉄骨造りで当時最先端の技術をもって作られこの建物も倒壊こそ免れたものの、骨組みと壁、屋根が残るくらいでした。
爆風はこの建物にほぼ垂直に働いたことで形こそ残っていますが、中にいた人たちは全員即死しています。
この建物こそ、原爆の恐ろしさを後世に残す異物となったのです。
被爆者の苦しみを知る・・平和記念資料館
修学旅行などで訪れ衝撃を受けた方もいると思いますが、平和記念資料館には被災された方々の遺品、またその惨状を記録した写真などが残されています。
焼けただれた衣服、折れ曲がった自転車、弁当箱、いずれも原爆の威力と恐怖を伝え、亡くなった方々の遺品に胸が引き裂かれるような気持になるでしょう。
原爆の恐ろしさは瞬時に人をなきものとしてしまう威力のほか、長年にわたり「放射能が体に与える影響」です。
被爆された方々は体に負ったやけどのケロイド、皮膚の引きつりに悩む以外、白血病やそのほか様々な病気に襲われ、今も戦っておられる方がいます。
慰霊碑を見て思う・・これほどの人が命を落とした恐怖
公園内には原爆死没者慰霊碑が建立されています。
原爆犠牲者の方々の御霊を雨露から守りたいという気持ちを込め、屋根部分は家形のように作られている慰霊碑です。
慰霊碑に刻まれている碑文には、安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬからと刻まれています。
これまでに国内外を問わず原爆によって命を落とした方々の名前が、原爆死没者名簿に書き記され、今もなお、書き加えられているのです。
原爆が落ち、家族、友だち、生活のすべてを失い、さらには今も原爆による病気と闘っている方々のことを思うと、原爆投下という現実を作った戦争はもう二度と、起こしてはいけないのだと感じます。
広島に行く機会があれば、一度、広島平和記念公園に足を延ばしてほしいです。