世界遺産の富岡製糸場
平成26年に世界遺産に登録された群馬県の富岡製糸場を知っていますか。
なぜ世界遺産に登録されたのかというと、それは江戸時代までさかのぼります。
江戸時代末期に鎖国政策を終えた日本は外国と貿易を始め、当時は生糸が最大の輸出品でした。
生糸の需要が高まったことで反対に粗悪な生糸も大量に作られてしまい、富国強兵を目指し外貨を獲得したい日本にとって生糸の品質改善・生産向上は急務でした。
なぜ製糸場を作る場所として富岡が選ばれたのかというと、養蚕が盛んで生糸の原料である良質な繭が確保できる、工場建設に必要な広い土地が確保可能で、制糸に使用する水を既存の用水で対応したことが挙げられます。
富岡製糸場は世界最大規模の製糸工場と当時認識されており、約140mの長さのある繰糸所に、300釜の繰糸器が並んでいるという状態でした。
国宝指定の建造物
富岡製糸場の主な建物は国宝に指定されています。
繭から糸を取る作業を行われていた建物である繰糸所は、当時フランスから導入された繰糸器が設置され、大空間の建物で、小屋組みにトラス構造を用いることで柱のない状態を作り出しました。
繭を貯蔵していた東置繭所と西置繭所も国宝です。
東置繭所は長さが104mになる巨大な繭倉庫になっており、西置繭所も同様の機能を果たしていましたが、1階の東面は官営期に蒸気機関車を動かすための石炭置き場として使用されていたため、東面には壁がない状態になっています。
重要文化財の建物
国宝に指定された建物だけでなく、重要文化財に指定された建物も多くあります。
首長館は指導者として雇われたポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。
住居が文化財になっているのは珍しいですが、コロニアル様式が採用され、床が高く、窓にはよろい戸と呼ばれるものを付けており、風通しが良くなっています。
検査人館や女工館など当時の住居も文化財になっています。
また蒸気釜や鉄水溜、下水竇及び外竇など当時の製糸を作るために必要だった建物も文化財として今も残っています。
日本変遷期を学ぶことができる
生糸は普段の生活には馴染みがないと思われがちですが、生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した技術革新は長い間、世界と日本をつなぐ近代の絹産業の遺産ともいえます。
日本発祥の生糸の大量生産技術。
昔は、1部の特権階級のものであった絹として扱われたものが、一般の人でも使用できるようになり、生活の中にとけこんでいきました。
日本の歴史を知る上でも貴重な資料や建物が残っており、日本人として知っておきたい情報がたくさん詰まっている富岡製糸場。
当時の状況が分かるくらい資料等が残っているので、ぜひ訪れてみてください。